株式会社三重興農社の歩み

創業当時の三重興農社(現諏訪店)と谷川光夫(現会長)
 
昭和30年頃の店内の様子
 
ケール(青汁)の採種・栽培場にて
指導中の谷川光夫(昭和35年頃撮影)
 
温泉の地熱を利用した省コスト温室
(菰野花き生産組合)
 
花と緑の博覧会(平成2年)では、数多くの展示会場に花苗を供給。造園事業に参加。
昭和22年 三輪勇四郎、吉田伊兵衛、吉田耕吉、土井基次、清水徳郎、大原辰男、谷川光夫の7人で、四日市市浜田1448に有限会社三重興農社を設立。三輪勇四郎社長就任。
昭和26年 有限会社 三重興農社を解散し、谷川光夫の個人商店三重興農社とする。
高級野菜・花・果樹を中心とした栽培指導を経営の柱とする。
昭和27年4月 「講和記念全日本農機具新日本産業大博覧会」に協賛。四日市市長より感謝状を受ける。同展覧会にて、三菱の農業用ビニールフィルムハウスを展示発表し、注目を浴びる。
昭和29年10月 四日市商工会議所会員となる。
昭和31年 (社)三重県種苗協会設立。同会長に就任。
三重大学藤村教授指導のもとに三重県バラ会設立。
昭和36年1月 有限会社 三重興農社設立。資本金50万円。
代表取締役に谷川光夫就任。
営業内容:
1.農産種子の販売。
2.農芸資材の販売。
3.前記各号に付帯する一切の業務。

昭和36年4月 四日市農業指導所と連携してシクラメン栽培の指導にあたる。
昭和36年10月 三重県農産種苗協同組合設立。
谷川光夫、初代理事長に就任。

昭和38年5月 呼稱(こしょう)変更により所在地が四日市市諏訪栄町2番9号となる。

昭和44年9月 資本金200万円に増資。
昭和48年
四日市花の会設立。

昭和48年9月
当社谷川光夫、(社)日本種苗協会三重県支部長に就任。

昭和51年2月 四日市市九の城町1003(現西浜田町10-6)に、倉庫及び店舗建設。
微生物利用の土壌改良に力を入れる。

昭和53年2月 北勢食品卸団地協同組合の設立に伴い、当社も加入。

昭和54年7月 北勢食品卸団地(四日市市河原田町)に出店
(新社屋:2階建て延べ214.9u)

昭和56年7月 四日市市西浜田の倉庫及び店舗を地主に譲渡。業務を諏訪店に集約。

昭和58年6月 谷川幸吉(現社長)、青年種苗人懇談会(ジスコ)会長に就任。
昭和59年5月 (社)日本種苗協会三重県支部長として、業界の発展に寄与した功績が認められ、同協会より表彰状を受ける。
昭和61年9月 当社関連団体として。農事組合法人・菰野花き生産組合を設立。
昭和61年10月 菰野花き生産組合、花き栽培共同施設・地熱水(温泉利用)等利用施設の建設着工。
昭和62年9月 諏訪店新築。(鉄骨造、陸屋根、4階建ての店舗、寄宿舎等)
自然食品、健康食品の取扱開始。
昭和63年9月 資本金を500万円に増資。

昭和63年11月 谷川光夫、三重県農林水産省振興功労者に選ばれる。

平成2年
4月〜9月
花と緑の博覧会(大阪)に花苗を供給、造園事業に参加。
平成3年9月 東側社屋増設。
(苗、花、培土・土壌改良材等置き場)

平成4年4月 四日市市河原田町に、宅地297u、同所2階建て家屋(延床面積306.8u)を購入。

平成4年5月 パソコンを導入。事務の機械化開始。

平成4年11月 資本金を650万円に増資。

平成7年7月 谷川幸吉を代表取締役に選任。本店を諏訪栄町から現住所(四日市市河原田町)に変更。
営業業務内容の増加。 1.農産種子の販売、
2.農芸資材の販売、3.日曜雑貨品・衣料品・青果物等の販売、4.食品の販売、5.前記各号に付帯する一切の業務。

平成7年9月 社屋の増改築(現社長室・食品売場)

平成11年3月 ナックス東京事業部開設。
業務内容:1.食品や青果物等の卸販売。
2.インターネット受注システムを核とした物販事業。

平成12年1月 有限会社から株式会社に組織変更。
資本金1,300万円。
代表取締役に谷川幸吉就任。

同年同月 資本金2,000万円に増資。

平成13年3月 大阪おせわ事業部開設。
業務内容:
1.パーティー・宴会会場のご紹介
2.レストランウェディング&結婚式二次会会場の紹介サービス。